倉賀野町の概要

高崎市の東南端にあり、榛名山麓の末端部辺に当たり、広く関東平野から眺めれば北辺部に属し、洪積層土の広がる平坦地であり、浅間山古墳をはじめ、多くの古墳が点在するところからみて、かなり昔から栄えたところであったと思われる。
 町の南側には烏川が流れ、中央部を東西に旧中山道が通り、町の北側には国道17号バイパスが通っている。さらに、旧中山道と国道17号線の中間には高崎線が通り、倉賀野駅が学校の目の前に位置している。烏川は江戸時代より、倉賀野河岸と呼ばれた舟運の基地が発達し、年貢米をはじめ多種多様の特産物が江戸方面に運ばれていた。また、江戸から海産物や塩や雑貨が運ばれてきて、この倉賀野より陸路を経て、県内はじめ新潟県や長野県方面へ運ばれていた。さらに、江戸と京都を結ぶ裏街道としての中山道の宿駅でもあり、中山道から日光へ向かう例幣使街道の分岐点が町の東に位置しており、水陸両用の歴史的にも交通の要衝であった。当地区は昭和38年に高崎市に合併し、現在に至っている。