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上郊小学校校歌

作詞 近藤 義雄 作曲 多胡 純策

榛名の嶺の 日に映えて 遥かな流れ 井野川の 文化の香り 伝えきて
豊かにひらく 緑野に 明るく浄き 瀬の音に ゆかりも深き 古墳群
中里保渡田 井出を呼ぶ 育む夢の 美しさ うけつぐ胸に 誇りあり
希望あふれる 学び舎は あすへの歩み たゆみなく 強く正しく 学ぶもの
その名もゆかし 上郊小 学ぶわれらが 上郊小 永遠に栄えん 上郊小

「上郊」という名前の由来

「上郊村」は、明治22年から昭和32年まで存在した自治体名で、明治22年、中里・保渡田・生原・井出の4か村が合併して成立し、昭和32年に中里・保渡田・井出地区は群馬町の一部となり、生原は箕郷町の一部となりました。

明治22年に命名された「上郊村」という名は、古代に群馬郡に存在した「上郊郷」に由来します。この郷名は『和名抄』に群馬郡の十三郷の1つとして見えます。ところが訓に2通りあり、『和名抄』の高山寺本では「加无豆左乃(かむつさの)」、東急本では「加無佐土(かむさと)」となっています。高山寺本の「かむつさの」という訓は「上つ佐野」ということでしょう。この訓を採用するとすれば、「上郊郷」の位置は、今の高崎市佐野(上佐野町、下佐野町、佐野窪町あたり)ということになりましょう

明治22年の村名決定の折は、東急本の訓を採ったことになりますが、この場合、「上郊郷」の位置は、『日本地理志料』などに、当郷を中里・保渡田付近に比定していることに依るようです。

というわけで、古代の「上郊郷」の訓も位置も、実ははっきりしないということになります。明治22年の町村合併の折の新地名決定に際して、できるだけ古い地名を採用したいという方針はとても貴いことと思いますが、正解だったかどうか、微妙なものがあります。

群馬県立女子大学 文学部国文学科北川研究室 北川和秀教授談