気をつけてね。「交通安全」のお話「いつ、どこで、どんな危険に遭遇するかわかりません。自分たちが交通ルールを守ることはもちろん、周りの車が、もしかしたら交通ルールを守らないかもしれないと考えて行動することが大切です」というお話しをしていただきました。 今日のお話を忘れず、今年度もあとすこし、安全に登下校したいと思います。 竹林にも春が来ていました。たくさんの子どもたちが、久しぶりに竹林や大清水川で遊びました。 ホトケノザやオオイヌノフグリ、ナズナ、まだ茎の短いタンポポの花が咲き、竹林のまわりにも、春が来ていました。 今日は「東日本大震災」から5年目震災で犠牲となられた方への追悼のため、箕郷東小学校でも14時46分から、全校児童が教頭先生の放送にあわせて、1分間の黙祷を行いました。謹んでご冥福をお祈りいたします。 卒業式まで2週間。「卒業式練習」
卒業式まで、あと2週間。6年生の卒業式の練習もすすんでいます。りっぱな卒業式になるよう、ひとりひとりがいっしょうけんめい取組んでいます。今日は、「門出の言葉と歌」「卒業証書授与」「記念品授与」などの練習をしました。毎日少しずつじょうずになっているのが、見ていて感じられます。
梅の花が満開に校庭や連絡通路から、きれいに咲いている梅畑を見ることができます。そよ風にのって梅の花の香りが漂ってきそうです。 6年生卒業バイキング給食みんな嬉しそうに取り、楽しそうに食べていました。 おかわりもたくさんしてみんなおなかいっぱいになり、満足そうでした。 用意していただいた給食センターの方々、ありがとうございました。 しっかり手洗い、きれいなハンカチ!「保健集会」
3月7日(月)に保健集会を行い「しっかり手を洗い、清潔なハンカチを持つこと」の大切さについて発表しました。
保健委員会では、手洗いやハンカチの汚れの実験を行いました。水で洗っただけでは、手の汚れはほとんど落ちませんでした。また、石けんを使って洗っても、爪、指の関節部分など汚れが残りやすいところがわかりました。また、ハンカチについての実験では、ハンカチは一日使うとたくさんの汚れがつき、毎日取り替えないと、とても汚いということがわかりました。手の汚れをしっかりとるためには、石けんを使ってしっかり洗う、そしてきれいなハンカチでふき取ることが大切だということがわかりました。 保健委員による劇やクイズで、わかりやすく学校保健委員会の内容を伝えることができました。 ヤマメの放流を行いました。3月4日(金)にヤマメの放流を行いました。 11月から卵を飼育し、卵から孵り、成長していく過程を子どもたちは毎日わくわくしながら観察していました。 当日多くの子どもたちが来て、大清水川で泳ぐヤマメを嬉しそうに見ていました。 「版画の作品」を展示しています。教室前の廊下には、いっしょうけんめい「はったり、ほったり、すったり」した作品が展示されています。 6年生ありがとう。「6年生を送る会」 その1
今日の朝、5年生が中心になって、全校の児童がお世話になった6年生に感謝の気持ちと、卒業をお祝いする気持ちを伝える「6年生を送る会」がありました。
花のアーチをくぐり、6年生の入場したあと、 2年生の音楽劇「かさこじぞう」 1年生の歌「はる なつ あき ふゆ」、 3年生のリコーダー演奏「パフ」と合唱「かわらないもの」 4年生の歌とダンス「WAになっておどろう」 5年生の合奏とメッセージ「風になりたい」 を6年生に贈りました。 この贈り物にこたえて、6年生は、「この地球のどこかで」を合唱しました。 そして、全校で「ありがとうの花」を、心をこめて歌いました。全校児童の心が1つになりました。 6年生ありがとう。「6年生を送る会」 その2
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6年生ありがとう。「6年生を送る会」 その3
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6年生がんばって、「卒業式練習」入退場の練習、返事、起立、礼、着席の仕方、式に歌う歌の練習、よびかけ、卒業証書や記念品の授与の仕方…卒業式まで練習しておくことはたくさんあります。 しっかり練習して立派な卒業式にしてほしいと思います。 3月11日をまえに、「全校朝礼」
おはようございます。
この間、音楽集会で「花は咲く」を歌いましたね。あの歌は、東日本大震災の復興を願った歌です。東日本大震災から、もうすぐ5年がたちます。いつもこの時期になると、思い出します。そして去年も3月11日午後2時46分、みんなで目をつぶって黙祷をささげました。おそらく今年も黙祷をささげることになると思います。 実は、校長先生の友だちが東日本大震災のあった釜石市に住んでいました。その友だちは、港の海がすぐそこ、家から出ると道路一本渡るとその先は海という所に、3階建ての家でお店をやっていました。となりは7階建てのホテルでした。大きな地震がきたときに、みんな高い方へ高い方へと逃げるわけですが、たまたまとなりの7階建てのホテルへ逃げたのだそうです。けれども、会社の車も高台においてきた方がいいだろうということで、奥さんが車を高台に置きに行きました。そして、車を高台に置いてホテルにもどろうとしたときに津波がきてしまいました。奥さんが、波にさらわれてどんどん、どんどん流されているのをホテルの7階から、校長先生の友だちは見ていたのだそうです。もう、気が動転して気がくるってしまうほど、「たいへんだ」という思いで、見ていたのだそうです。 しかし、幸い釜石という街は、鉄をつくる街なので石炭の山がたくさんあったので、奥さんは流されたのですが、たまたま運よくその石炭の山に登って、そこで寒い一晩をぬれた体ですごしたそうです。しばらく、校長先生の友だちとは連絡がとれませんでした。もしかしたら津波に流されて死んでしまったのかなと、半分あきらめていました。だけど、9月にたまたまお嬢さんが就職した会社に電話したら「ぶじに生きています」ということでした。津波から半年たっていましたが、すぐに行ってみました。校長先生が、友だちにいろいろな所に案内してもらったときに、撮ってきた写真をこれからみなさんに見せたいと思います。 これは、大槌町(おおづちちょう)と読みます。これが校長先生の友だちのいた釜石。そして、これは唐丹町といって小さな町です。大船渡市は、海岸沿いで大きめの街です。それから、陸前高田市。大槌町とこの陸前高田市は、テレビによくでます。 今日もニュースを見ていたら、この大震災の復興に向けてがんばっていますが、まだまだ仮設住宅で不便な生活をしているということが放映されていました。まだまだこの東北地方には、自分の家が流されてしまって仮説住宅で生活している人たちがたくさんいます。では、写真を見てもらいたいと思います。 まず、みなさんの住んでいる群馬県はこのへんです。校長先生の友だちの住んでいた釜石市は、この辺です。これは、津波がきたときの写真です。震災が起きたときに、海の水が流れてきたときのようすをたくさん撮った方が、写真集をつくりました。その写真集を、校長先生に友だちが送ってくれました。これは、その写真集の写真です。ここに屋根の上に逃げている人がいますね。ベランダに出ている人もいます。車が流れてきていますね。こんなすごい津波だったんですよ。20m、30mという、この体育館の高さぐらいの、津波がきたんです。これは、その津波が去った3月15日の写真です。水はひきましたが、街の中はこんな状態になってしまいました。 釜石市というのは、昔から防災教育というのが非常に盛んなところで、「津波てんでんこ」ということが言われています。もし津波がきたら、「いっしょに逃げようだとか、お父さんお母さんを探しにいこうだとか、そういうことをしてはだめなんだよ」という教育が、ずっと昔からされていたそうです。「てんでんこ」っていうのは、「ひとりひとり別々に」ということです。津波がきたら、「自分で自分の身を守って、逃げろ」という教育を小学校のうちから教えられていたので、この津波で被害にあった小学生は、とても少なかったそうです。 それから、この釜石市には、ここにぎざぎざになっているのが見えますか? ここに10mぐらいの高さの防波堤があったんです。だから釜石市の人たちは、この防波堤があるから、街の中まで水はこないだろう、っていうふうに思っていたそうです。でも、見てください。10mもある防波堤が、ぎざぎざになって壊れていますよね。これくらい津波の勢いがすごかったのです。 これが、校長先生の友だちの逃げたホテルです。ここのところに今は、9月に行ったときには、更地になっていましたけれども、3階建てのお店がありました。このホテルの7階から、家族が流されるのを見たとき、どんなにつらかっただろう、と思いました。 これは道路ですが、このように道路の上の方まで津波のあとがありました。見てください。こんな大きな道路も、津波の勢いで崩れてしまっています。どんなにすごいかというのが、わかると思います。こんなになっちゃっています。 ここに家があります。津波がくる前には、ここもずっと全部家だったそうです。それが全部なくなってしまった。津波がきて、地盤沈下といって、海の水と海辺がほとんど同じ高さになってしまったそうです。 これは、大槌町のようすです。津波でこのようになってしまいました。津波の水あとが、まだここにも残っています。家がほとんどなくなって、瓦礫になってしまいました。ここもみんな家があったのだそうです。 これは釜石市の市内のようすです。9月にいってもまだまだこんなによごれていました。これは、海岸沿いにあった釜石の警察ですが、ガラスが割れていますよね。割れているということは、このあたりまで水が通っていったということです。車もこんなにつぶれています。 「震災復興、がんばろう 釜石」こんな横断幕もありました。これは、釜石の有名な観音さまです。これは、唐丹町の小学校。これが体育館ですが、こんなにぼろぼろになってしまいました。 ここは、大船渡、漁港で有名なところの街の中です。こういうところの家もなくなってしまいました。ここも地盤が沈下しているそうです。田んぼの中に船がありますね。こんな方まで船が、流されたということですね。これは学校なのだけれども、この辺に瓦礫がいっぱいつまれています。 ここは、ニュースによく出る、陸前高田市です。道路しかありませんが、津波がくる前は、ここら辺は家が並んでいたそうです。こういう大きな建物だけ残っているそうです。後はみんな流されてしまったそうです。その瓦礫の山がこれです。大きな建物だけが大丈夫でした。大丈夫といっても中には水が入ってしまいましたが…。5階立ての建物の、1階、2階、3階、4階まで、窓ガラスは全部割れています。5階だけがまだ窓ガラスが残っています。ということは、4階まで水がきたっていうことだよね。どれぐらいすごいか、これを見るとわかりますよね。 これはみんな崩れた家の瓦礫です。燃やせるものと、燃やせないものに分けて積んでありました。車もこんなふうになっていました。 ここに電柱が残っていますが、ここを校長先生が車で走ったときに、車のナビゲーションをみるとコンビニやガソリンスタンドのマークがありました。でも、実際の道路には何にも残っていない、街全部が、たとえば箕郷町全部が津波で持っていかれてしまった、崩れてしまった、それくらいすごかったのです。ここにも全部家があったのですよ。こういう大きな建物だけしかのこっていない。 この街は、山まで遠かったから、被害も亡くなった人もたくさんいます。これも大きな病院だったそうです。建物だけが残っています。車が横になっていたりしました。 こういう大きな災害が、これからもいつくるかわかりません。今年も大雪がありました。学校も休みになったりしましたね。自然というのは、いつどのようにみなさんに、恐ろしいことをするかわかりません。それに自然だけでなく、最近車が歩行者に突っ込むという事故もありました。バスの事故もありました。いつどのような危険がやってくるかわかりません。そういった危険から自分を守れるように、ふだんからどのように身を守ろうか、考えて生活してほしいと思います。 あと1か月で、平成27年度も終わります。最後、残り1か月、よい1か月にしてほしいと思います。おわります。 ありがとうございました。「放課後補充学習」
5月から始まった放課後補充学習は、今日が最後になりました。参加した子どもたちは、ボランティアの方に採点していだだいたり、教えていただいたりしながら集中して、プリントの問題に取組むことができました。最初の頃にくらべ、子どもたちは算数の計算問題に自信をもって取組めるようになりました。学習ボランティアの皆さまにはたいへんお世話になりました。本当にありがとうございました。
がんばってね、先輩「ボランティア・チューター」落下防止工事「体育館」
業者の方による体育館の「落下防止工事」がありました。
卒業式をひかえ体育館の天井、照明、バスケットゴールなどの落下防止、保守、点検を行っていただきました。今日1日体育館がつかえませんが、これで安心して使えるようになります。 もう梅の花が…今週から、「卒業式の練習」、「ありがとう集会の練習」が始まりました。今年度ももうすぐ終わりになります。最後まで力をぬかずがんばりましょう。 リズムなわとび「体育集会」
体育集会は、「長なわ大会」も終わり、今日から「リズムなわとび」がはじまりました。
「勇気100%」のリズムに合わせて、とび方を変えながらなわとびをします。体育の授業でもなわとびを練習しているので、みんな最後までいっしょうけんめいとぶことができました。 よくがんばりました。「干川先生、岩倉先生」初任者として、全校の先生たちに見守られ教えられたことを、これからの指導に生かし、活躍していってほしいと思います。 |
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