1年「外国語活動」5年「算数」2年「道徳」2年「体育」4年「体育」朝礼5なぜ、村上さんは、総料理長という最高峰にのぼりつめることができたのでしょう。それは、村さんに、「知恵」と「努力」、それに「チャレンジ精神」があったからです。「努力はうらぎらない」。どんなに苦しくても、ごまかしをしないで、コツコツと努力して本物を自分のものにする。村上さんの生き方から学んでいきましょう。 朝礼4配属先はホテル・リッツ。フランスでナンバー・ワンのホテルです。もちろん、苦労の連続でした。しかし、その時の様子をこう語っています。「私は少々太りぎみで、手も大きかった。フランス料理の命である味付けは、素早く手のひらにメモし、後でそれを丁寧にノートにまとめました。おかげで、フランス人の親方から『ノブオは覚えが早い』と可愛がられたものです」。周囲のフランス人が考えもしない方法で、フランス料理の秘伝を習得していきました。修行から返ってきた村上さんを待っていたのは、帝国ホテル新館の料理長です。村上さんの帰国土産は「バイキング」です。帝国ホテルの「インペリアル・バイキング」が誕生しました。その後、総料理長に就任していきます。 朝礼33ヶ月、一生懸命磨きました。ピカピカの鍋が増えていきます。300個以上。親方が言いました。「この鍋は誰が磨いているんだ」。「鍋屋の村上が磨いています」。「料理人の心がわかるやつだ」となり、「あいつが洗っている時は、ソースをつけてやろう」というふうに認められていきます。調理場では様々な努力をします。言葉で分量を言われます。頭で覚えなくてはならない。村上さんは腕に書きます。だから間違えない。間違えないから信用してもらえる。メニューはフランス語。仕事の合間をみてフランス語を勉強します。 朝礼2朝礼1今日は、ある料理人のお話をします。その人の名前は村上信夫さんと言います。この料理は何でしょう。フランス料理です。日本におけるフランス料理の第一人者と言われています。NHK「きょうの料理」にレギュラー出演したり、昭和39年の東京オリンピックでは選手村の料理長をしたりと大活躍でした。そして、ついには帝国ホテルの総料理長となり、84歳で亡くなりました。いつもフランス語の辞書を片手に、「勉強してますか?」が口癖でした。そして、とても印象に残る言葉を残しています。「料理は腕で作るのではなく、頭で作るもの」です。 村上さんは、東京の神田という下町で生まれました。両親は食堂を営んでいました。ところが、関東大震災で店は全焼、11歳(小学校5年生)の時、両親は相次いで結核で亡くなります。妹は養女へ行き、頼れるのは自分だけになります。小学校にまともに通ったのは6年生の2学期まで。3学期からは調理場で働かなければならなかったのです。 そして、卒業式。この日ばかりは晴れやかに式に参列することができました。しかし、村上少年には、他の卒業生と違うことが一つありました。卒業証書がもらえなかったのです。出席日数が足りない。それが理由でした。NHKに、有名人が自分の卒業した学校に行って、子供たちに教えるという番組がありました。「ようこそ先輩」という番組です。村上さんもこの番組に出ました。母校で子供たちにカレーづくりの秘訣を教えたのです。撮影が終わると、校長先生から、お礼にと、卒業証書がプレゼントされました。 4年「社会」3年「国語」2年「外国語活動」5年「社会」第二期工事しろやま学級6年「算数」1年「生活」5年校内書き初め大会1月10日の給食今日のミートソースは手作りソースです。 ひき肉、玉ねぎの他にセロリ、大豆、しょうが、にんにく、マッシュルームなど色々な食材を刻んで作りました。 |
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