人権朝礼2『こんな自分なんて嫌い』誰もが、一度はこんな想いになったことがあると思います。少年の本心でない『あな』に次から次に落ちていく。這い上がりたいのに、こんなこと嫌だと思っているのにできない。『ごめんね』って言いたいのにできない自分。いじめにあっている犬を守ってやりたいのに、みんながいじめているからいじめている自分。何もかもが嫌になった少年の心の『あな』を埋めることができるのは、次のきっかけで、本当に正しいことをしたいと願っている勇気ある自分の行動しかありません。本の最後のフレーズです⇒『「ほんとうに これがぼくなの?」ぼくは 光りかがやくぼくを見て おどろいた。だってそれは ぼくがなりたかった ぼくだったんだ。そのとき ぼくね ぼくが大好きになった。ずっとずっと 光かがやくぼくでいたいって そう思ったんだ。』 人権朝礼1この絵を見て下さい。何に見えますか?・・・「若い女の人」に見えるという人は? おばあさんに見えるという人は? どちらにも見える人はいますか? 顔だけ見ると少女らしいのですが、首のレースに視線を移すと、レースが歯であごが鼻にあたる、すごい面相の老婆の横顔になります。反対の見方に挑戦してみてください。 私たちは、一度こうだと思いこむと、なかなかその考えから抜け出せないときがあります。こういうのを「思いこみ」と言います。そして、「思いこみ」はいろいろな見方をできなくしてしまう。人に対して言えば、その人の本当の姿を見えなくしてしまう。「思いこみ」を一度取り去って、本当の姿を見ることを「思い直し」と言います。これは自分のことにも当てはまります。「思い直し」によって、今の自分とは違う自分や友達が見えてくるかもしれません。そんな見方に挑戦しましょう。 4年「算数」1年「道徳」第二期工事 |
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